研究部からのひとこと

2017.05.24 A Broken Promise(牛村圭教授)

 昭和から平成へと時代が移るころ、アメリカのシカゴ大学大学院(歴史学)に籍を置いていた。知り合った外国人学生たちに「なぜアメリカで日本史を?」と訊かれると、 “Studying Japanese history in the United States is like looking at my country from an artificial satellite above the Pacific Ocean.” と応じて煙に巻いていた。1989年4月から始まるスプリングクォーターでは、テツオ・ナジタ教授に週1回のリーディングクラスをお願いした。テクストは自由に選んでよいというので、以前から気になっていたPeter DaleのThe Myth of Japanese Uniqueness (1986)に決めた。難解な文章だったがなんとか毎回1章ずつを読み、要旨をまとめたものを提出し、そののち教授の質問に答えるという形式をとった。

 ある日のこと、いつしか話題がテクストから離れ、創立間もない日文研に移っていった。どういう経緯だったのか、今となっては思い出す術はない。ナジタ先生は、かなり強い口調で日文研のことを“outrageous” と形容された。その語の響きは、28年経た今でも鮮明に記憶に残る。それを受けて、こちらも “I promise I will not join such an institution.” と「宣言」してしまった。将来はどこかの大学で英語かフランス語の教師になっていればいいくらいの自己認識だったし、また日文研のことをほとんど知ることもなかった身ゆえ、発した一言だった。

 その16年後、縁あって日文研所属の研究者となった。20代の自分が口にした「約束」がときおり蘇った。「変節」が気にもなった。もちろん師匠のことも思い浮かべたが、その後同僚となった磯前順一さんが渡米してナジタ教授やハリー・ハルトゥーニアン教授に接するたび、「牛村によろしく伝えてくれ」と言われると報告してくれるので、もう悩む必要はないのだろう。顧みて、あのころの自分は日文研のことも、そしてシカゴ学派が日文研をどう見ているのかも知らなかった。言葉の真の意味でほんとうにnaïveだった。師匠にとって日文研は、恩讐の彼方へと化したということなのだろうか、と不肖の弟子は思いをいたしている。

 

牛村圭教授 紹介ページ
http://research.nichibun.ac.jp/ja/researcher/staff/s143/index.html