研究部からのひとこと

2017.06.07 記録より、記憶に残る研究こそ!(伊東貴之教授)

 誰が初めに言い出したとも定かではない格言ながら、曾てプロ野球などのスポーツの世界では、「記録より記憶に残る」選手という褒め言葉があったことは、御記憶の方も多かろう。具体的には、さしずめプロ野球なら、「記録」では、同僚の王貞治らの後塵を拝するものの、文字どおりミスター・ジャイアンツとして、動物的な勘と勝負強さで、その黄金時代に八面六臂の活躍をした長嶋茂雄、大相撲なら、やはり今日では、多くの記録を更新されたものの、現役時代には、他の力士を寄せ付けぬ圧倒的な勝率と力業で、「憎らしいほど強い」と評された昭和の大横綱・北の湖などが、それに相応しい人物と言えようか(― ところで、大衆文化プロジェクトでは、何故スポーツがラインナップされないのだろうか?)。無論、「記録」にも「記憶」にも残るプレーヤーであるに越したことはなく、同時に時間の過酷な試練を経れば、多くの人々の場合、その何れか、あるいは、双方とも覚束無い仕儀さえも、少なくはない筈だ。

 さて、今日、私どものような研究機関や大学では、文科省の指導をはじめとする、様々ないわば「外圧」のもと、研究・教育上の業績や社会的な活動などに関する自己点検や外部評価などの業務が必須のものとなり、動もすれば「評価疲れ」などと称される事態すら生むに至っている。勿論、国民の血税は、然るべく運用されるべきことは当然であり、筆者もこうした営為や作業それ自体の意味を否定している訳ではない。しかるに、様々な「評価」が結果的にではあれ、数値目標至上主義に陥ってしまっては、自己保身や延命のためのアリバイ作りと揶揄されても、強ち反論し得ないものがあろう。

 我が日文研でも、これまで多くの先輩たちが、優れた研究や様々な著作を生み出してきた。その中には、ベストセラーやロングセラーなどの「記録」に残るものも少なくはないが、往時の学術界や読書界に大きなインパクトを与えた「記憶」に残る作品も多いことは、誰しもが認めるところであろう。甚だ僭越ではあるが、私ども後続の世代もまた、及ばずながら、むしろ「記憶」に残るような研究成果や著作をこそ、心懸けて参りたいものである。

 

伊東貴之教授 紹介ページ
http://research.nichibun.ac.jp/ja/researcher/staff/s008/index.html